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Part 3 介護と心がまえ [印刷用 タイトルあり] [タイトルなし]

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書籍名 アルツハイマーガイドブック
見出し Part 3 介護と心がまえ

内容

  1. Part 3 介護と心がまえ
    1. 28. 受け入れる
    2. 30. 正常
    3. 31. 褒める
    4. 32. 聴く
    5. 33. コミュニケーション
    6. 34. 意見を言いあう
    7. 35. 赤ちゃんことば
    8. 36. ボディランゲージ
    9. 37. 単語の言い替え
    10. 38. 滑稽な会話
    11. 39. 注意をそらす
    12. 40. 誘導
    13. 41. 繰り返し
    14. 42. 選ばせる
    15. 43. 愛情からのうそ
    16. 44. まちがいを正さない
    17. 45. 近所へのビラ
    18. 46. ぶじの帰宅
    19. 47. 人混み
    20. 48. 誕生日
    21. 49. 祝祭日
    22. 50. 夜間の不穏
    23. 51. 訪問客

Part 3 介護と心がまえ

相手を受け入れることから始めましょう

28. 受け入れる

おとうさんは、ほんの二、三年前、認知症の症状が出る前にくらべてひどく変わってしまった……。父親がけっして往年の状態にもどらないという現実を受け入れるのは、とてもつらいことです。たまに以前と同じ言動がもどって、態度も昔とまったく変わらないときには、その父親がまた消えてしまわないようにと、しがみつきたい気持ちに駆られます。

昔のおとうさんを失って嘆き悲しむのは当然のことですが、あなたが精神的にまいらないためにも、ありのままの姿を受け入れるよう努力しましょう。いま、おとうさんはちがう世界とのあいだを行ったり来たりしています。そこへ一緒にはいって、同じ視点でものごとを見るようにするのです。たやすいことではないし、自然にできるようになるまで時間がかかるでしょうが、結果として、はるかに関係が円滑になるはずです。

認知症に改善の見込みがないのは事実ですが、おとうさんはいまでもあなたの人生に大きな意味をもたらしてくれます。介護生活を一日ごとに区切って、無理のない目標を定めましょう。たとえば手をかけずに風呂に入れてあげられたとか、楽しく散歩に連れ出せたとか、そういった小さな成功を喜ぶのです。一日じゅう問題なく過ごせれば、しめたものです。

すぐにうまくできなくても、自分を責めてはいけません。現実を受け入れるには時間がかかります。おとうさんは以前と同じでないとはいえ、いまも楽しくて、朗らかで、愛情にあふれているはずです。悲しみに襲われたときには、自分を叱るのではなく、おとうさんにかたく抱きしめてもらって、こちらも抱きしめ返してあげましょう。

あるいは、おかあさんはあなたを自分の姉か母とまちがうかもしれませんが、それでもあなたを信頼し、愛すべきだれかだと認識しているのは確かです。ですから、姉役であれ母親役であれ、おかあさんにとって大切な人の役柄を快く引き受けましょう。そうすれば、おかあさんをもっと深く理解する機会を得られます。自分の母親としてではなく、ひとりの人間として理解するのです。

成人してこのかた、母親をいちばんの友人と考えてきたのなら、おかあさんがあなたを必要とするいま、自宅に迎え入れて世話をするのはごく自然なことです。相手のゆっくりした生活ペースに慣れてくれば、だいたいのことはうまくいきます。けれども、ある日、朝食の準備ができて起こしにいったとき、おかあさんはあなたと一度も会ったことがないという態度を示しました。見るからに怯えて布団の端を握りしめ、寝室に〝知らない人〟が侵入してきた、と大騒ぎします。あるいは、監禁するのをやめて自宅に帰して、と詰め寄るかもしれません。こんな場合、一緒に暮らしている理由をていねいに説明するのも、ひとつの方法でしょう。

でも、その場合、おかあさんがむっつりしてどんなことばにも反応を示さないため、ついにはこちらが罪の意識と悲しみに打ちのめされるはめになります。なだめようとしても、相手は極度の不安からパニックに陥っているので、あなたを遠ざけようとするばかり。実の母親からこんな仕打ちを受けるなんて、と、あなたは胸の張り裂ける思いをします。そして、どうすればいいのか途方に暮れます。

しばらくたって、あなたはなんとか気を取り直し、勇気を出してもう一度試みました。ためらいがちに扉をあけたとき、おかあさんはベッドの端に腰かけて鼻歌を歌っているかもしれません。そしてあなたの顔を見て、ぱっと顔を輝かせてこう言うのです。「あら、おねえさんじゃないの」

30. 正常

おねえさんのふるまいがときどき奇異に感じられたとしても、本人はまったく正常なつもりでいることを心に留めておきましょう。おねえさんの観点からすれば、おかしいのは周囲の状況であり、本人はそれに対応しているだけなのです。ふつうの態度と声で話しかけて、何も問題はないと安心させましょう。

〝正常〟という感覚は、わたしたちの自己認識の核となります。人間はひとりひとり異なりますし、遺伝や環境や文化によって形作られたそれぞれの観点からしか世界を見ることができません。おねえさんに訊ねてみても、少々記憶に問題があることは認めるでしょうが、それ以外の点では自分を完全に正常と考えているはずです。

「まったく正常に見えるんだけどねえ」おねえさんがアルツハイマー病と診断されたことを人に話すと、そう言われます。けれども、よく考えてください。腕を骨折したり、歯が欠けたり、関節炎や糖尿病を患ったりした場合、あなたは自分を正常とみなすはずです。頭髪が薄くなるとか、聴覚や視覚に障害を生じたときも、そうではありませんか? なぜ、アルツハイマー病だけ、特別視するのでしょう? わたしたちはだれしも、たとえ記憶に障害があろうと、自分は正常だと思うものです。おねえさんはアルツハイマー患者ですが、だからといって〝病んで〟いるわけではありません。頭の状態に変化が生じているのに、その大きな変化を認識できずにいる、と言ったほうがふさわしいでしょう。かたや、周囲の世界は、どんどん混沌としていくように感じられます。

たとえば、何カ月も問題がなかったのに、おねえさんはある日、トイレの場所がわからくなりました。急にちがう現実に迷いこんで、子ども時代の家にもどったのです。当時、トイレは反対側の端にありました。おねえさんの頭のなかでは、自分は正常であり、トイレの場所が変わってしまっただけです。その〝正常〟な状態を受け入れ、おねえさんの現実を認めてあげましょう。そして、物忘れはだれにでもあることだ、と教えてあげるのです。

おねえさんは言います。「トイレはどこ? どこかへ行ってしまって、見つからない。どこにあるの?」

あなたはこう答えましょう。「ついてきて、教えてあげるから。おねえさんがどんな気持ちか、よくわかる。わたしもときどき、朝起きたあと何もかも奇妙に感じられるのよ、目が覚める直前に昔の家の夢を見ていたせいで。すごくおかしな気分になるものよね? でも、安心して。トイレはこの廊下の先よ」

記憶に負担のかからないことがらに関して意見を求め、おねえさんの自信を取りもどさせましょう。ガーデニング、料理、人づきあいなど、何か〝問題〟をこしらえて、助言を求めるのです。ひょっとして、すばらしい答が返ってくるかもしれません。

おねえさんは記憶の多くを失っていますが、核となる人格は変わっておらず、常識もそれなりに残っています。おねえさんに自信を持たせるために、与えられた助言を高く評価してください。ただし、必ずしも従う必要はありません。

31. 褒める

一日のうちに何度か褒めるようにすると、夫がいらだつのを防げます。夫の神経が高ぶりはじめたら、顔を近づけて目を見つめ、愛情のこもった声で「もう話したかもしれないけど、あなたのそばにいられて、すごく幸せよ。一緒にいると楽しいの」と言いましょう。

あるいは、着替えを手伝っているとき夫が不機嫌なことに気づいたら、何か理由を見つけて褒めましょう。「このシャツ、あなたによく似あってるわ」とか「その新しい髪型、いいわね。すごくすてきよ」とか。

褒めことばをいくつか用意しておくといいでしょう。それも、さまざまな場面に応用できるものを。たとえば「緑色はほんとうに似あうわね」「こういうとき、いつも頼りにしてるのよ」「アドバイスしてくれて、ありがとう」「それはいい考えね。ありがとう、思いついてくれて」(たとえそれが、もともとはあなたの考えであっても)。「手伝ってもらえない? あなたはすごく上手だから」「あなたがいてくれて、よかった」等々……。

ときおり、簡単な褒めことばだけでは夫をなだめられない場合があります。その場合は、もう一歩踏みこんで、やや複雑な会話で注意をそらさなくてはなりません。「いま、ちょっといいかしら。どうしても相談に乗ってもらいたいの。あなたの意見はいつも役に立つから」などと言って、夫にアドバイスをもらえそうな小さな〝悩み〟を持ち出します。

過去の経験から、あなたはたぶん、夫がどんな〝悩み〟を好むかわかっているはずです。繰り返し同じ問題を取りあげてもかまいません。それを夫が覚えているようなら、「前にも話したかもしれないけれど……」と切り出せばいいでしょう。

あなたの〝悩み〟を真剣にこと細かく説明し、意見をもらったら、たとえ単純な肯定や否定であったとしても、それがいかにありがたいか伝えましょう。「話してよかった。いつも、あなたに悩みを話すと、すごく気分が晴れるの」

32. 聴く

おばあさんは、ちゃんと話を〝聴いて〟あげると喜びます。意味の通らない話も多いですが、ボディランゲージを観察し、耳を澄ませて手がかりを探っていけば、何を言いたいのかがわかってきます。たとえば、おばあさんが「あの人たちも、あれを使えば、やすぴんなのにね」と言えば、あなたはこう答えます。「この問題について、ずいぶん考えているのね」

嬉しくて、おばあさんはぱっと顔を輝かせます。「あのサクラクラの人たちは忠実で、たくさんいるよね」

いったい、なんの話でしょう? さっぱりわかりませんが、あなたは「とても興味深い話ね」と、当たりさわりのない返事をして、会話のキャッチボールを続けます。そしてふと、思い出します。昨晩、おばあさんは、あるテレビ番組をじつに興味深そうに観ていました。試してみる価値はじゅうぶんあるので、あなたはこう言います。「たしか、ゆうべテレビでその話をやってたよね」ひょっとして、おばあさんはにっこり笑って、そうだと答えるかもしれません。

こんなふうに話を持っていけば、〝会話〟を長く続けて、おばあさんを心から喜ばせることができます。当たりさわりのない返事を繰り返すうちに、なんの話をしているのかわかることもあるでしょう。


友人のガートルードは、いまも整然と自分の考えを伝えられますが、語彙の多くを失ってしまったので、べつの単語を使って話そうとします。内容にある程度察しがつく場合は、いわゆる〝積極的傾聴法〟を用いて、さりげなく訂正を入れましょう。たとえば、ガートルードが「あのセシーは、すごくすてきだった。いいのがあったわね」と言ったとしたら、あなたはこう答えます。「ほんとうに、そのとおりよ、ガートルード。あそこほどいいデパートに行ったのは久しぶりだわ。見るものもたくさんあったし。あなたはベージュのセーターがとくに気に入ったみたいね。また買いに出かけたほうがいいかしら?」

ことばが出てこないことに友人が苛立って途中でやめてしまったら、あたりまえの顔でその文を引き取って、締めくくりましょう。たとえば「行きたいのよ……タイヤで……」と言われたら、にっこり笑って答えます。「車でってこと? なんという奇遇。ちょうど、これからドライブに誘おうと思っていたの。賢い人間はみんな、考えることが同じってわけね?」

33. コミュニケーション

あなたがいつも動作を〝逐一説明する〟よう心がけているうちに、おかあさんは一貫した反応を示せるようになります。何か理解できないことがある場合、おかあさんの返事はノー一点張りになりがちです。わけのわからないことに対処せずにすんで、尊厳と自制を保てるからです。あらかじめ、ことばを言い替えてくわしく説明しておけば、おかあさんはよりよく理解したうえで返事ができます。

あなたが「散歩に行きたい?」と訊ねると、その瞬間、〝散歩〟がどういう意味かわからなくて、おかあさんはきっぱりノーと答えます。

けれども、べつの訊きかたをすれば、まったくちがう反応が返ってくるかもしれません。たとえば、こんなふうに。「おかあさん、外はとてもきれいよ。もう春だもの。きのうの朝、あしたも暖かければこのあたりを少しぶらつこうって約束したよね。近所の庭に、水仙が咲いているかも。さあ、散歩用の靴を履いて、出かけようよ、ね?」

できるかぎり、提案のなかに母親を登場させましょう。たとえば、明るくきっぱりした口調で言うのです。「こうしようって約束したよね」(つまり、おかあさんが望んだことなのよ)。あるいは「これはおかあさんの提案だったよね。わたしも、すごくいい考えだと思うな」「そういえば、これをやりたいってことを覚えておいてって、頼まれてたんだっけ。思い出せてよかった」「おかあさんは、これをやるの、好きだものね?」。

おかあさんはうまく意思を表現できないので、あなたはたびたび、代わりに考えを声に出して言う必要があります。そのさい「そうよね?」や「そう思わない?」で締めくくれば、おかあさんは会話に参加している気がするはずです。たとえば「おいしいお昼だったよね?」とか「よさそうな考えね、おかあさんもそう思わない?」とか。

イエスかノーで答えるだけでも、意見を求められたように感じられるものです。この種のコミュニケーション方法に慣れてくれば、もっとむずかしい状況にもはるかに楽に対処できます。たとえば、こんなふうに。「金曜日は、お風呂にいい日だと思わない?」「いまトイレに行きたいはずよ、そうでしょう?」「わたしは疲れたから、もう寝たいけど、おかあさんもそうよね?」

34. 意見を言いあう

奥さんはこれまでずっと、科学や歴史など、事実に基づく学問に興味を抱いてきました。あなたは一緒に教育テレビやディスカバリーチャンネルを観たり、『ネイチャー』『ナショナル・ジオグラフィック』といった科学雑誌を読んだりします。奥さんは自分の意見をうまく言い表せませんが、あなたが記事を読んで聞かせるたびに目を輝かせます。たとえ同じ記事を読むのが一〇回めであっても、はじめてであるかのように、発見の喜びと熱意を込めてください。

「こんな記事があるよ、ホン。すごく興味をそそる内容なんだ。ぜひとも読んで聞かせたいな。きっと気にいるはずだ、ぼくはすごくおもしろいと思ったから。いますぐ読もうか?」前にも読んで聞かせた記事なら、奥さんが反応を示す可能性は高いので、意見を言いあうこともできるでしょう。


おとなとして真剣に意見を交換するのは、たとえその意見がたいして役に立たないとしても、大切なことです。おとうさんと話すとき、ふだん、あなたが友人とどんな話をしているか考えて、同じ話題を持ち出してみましょう。興味を引くことがわかっている話題でもいいし、私生活でのちょっとした問題を相談するのもひとつの方法です。たとえば、こんなふうに。「とうさん、大事な相談があるんだけど。いま、オフィスの移転を考えてるんだ。意見を聞かせてくれないかな。現在のオフィスは眺めはいいのに、かなり狭くてね。もっと広い場所が見つかったけど、こっちには窓がない。どっちが大切かな、広さと眺めと?」

おとうさんがこの質問になんらかの反応を示すまで待ちましょう。まったく関係のない答が返ってきたとしても、その話につきあってください。ゆっくりめの口調で話すとか、簡単なことばを選ぶのはかまいませんが、相手がおとなであることをつねに念頭において、あやすような口調は避けましょう。つじつまが合わなかろうが、取り止めがなかろうが、おとなとして会話をすることで、おとうさんは自尊心と尊厳を保てるのです。

35. 赤ちゃんことば

弱者や病人に対してはきまって赤ちゃんことばを使う人がいます。相手をいかに侮辱しているか、そういった話しかたがいかに滑稽に映るか、わかっていないのでしょう。本物の赤ん坊または、たまに恋人に使うときはべつとして、赤ちゃんことばで話しかけるのは、相手を見くだす無礼な行為です。とはいえ、よかれと思ってこうした話しかたをされると、対応に困ることがあります。

母親が赤ちゃんことばを使われるか、あやすような話しかたをされた場合、相手に次のように言えば効果的です。「すみませんが、母はふつうのおとなの声で話しかけられたほうが、よく理解できるんですよ」

おかあさんと午後の散歩に出かけて、昔からの知人に出会いました。その人は感情を大げさに表すたちで、いったん話しはじめたら止まりません。あなたに満面の笑みを向けて、「あら、おかあさんとお出かけなの?」と、小さな女の子の口調で言います。さらに、おかあさんの腕をあやすように軽くたたきながら、失礼なおしゃべりを続けます。「おかあさんをお散歩に連れだしてあげるなんて、えらいわねえ!」そして最後に、おかあさんに面と向かってこう言うのです。「きょうは、おめかしさんだこと。そのかわいらしいお洋服が、よくお似合いねえ」

表情から、おかあさんが面くらって怒りを覚えていることが、ありありとうかがえます。あなたはなんらかの対処をしなくてはなりません。同じように無礼な口調でこう言い返すのも、ひとつの方法です。「あらあら、こんなにお日さまが照りつけてるのに、お出かけしてだいじょうぶなの? その古いお洋服、まだとてもお似合いねえ!」

けれども、こうした皮肉っぽい話しかたは性に合わないでしょうし、おそらく相手は周囲に気が回らないタイプなので、あなたの言いたいことは伝わらないはずです。それよりも、ふつうのことばで「母は立派なおとなです。赤ちゃんことばで話しかけられるのは、好きではないんですよ」とはっきり言いましょう。

36. ボディランゲージ

おじいさんは自分の気持ちをうまく表現できません。あなたは相手のちょっとした表情やしぐさを観察して、欲しい物や気持ちを推測するよう心がけます。やがて、ことばを用いないコミュニケーションにすっかり慣れたら、ふたりだけに通じる身ぶりが生まれることでしょう。アルツハイマー患者を介護していると、思いがけない贈り物を得られます。ことばを用いないかすかな合図を理解し、患者といっそう心が通じあうようになるのです。


おばあさんはときどき不安げに、わけもなくズボンの脇をなでています。ふつうなら、ポケットがある場所です。あなたがティッシュを取ってあげると、嬉しそうに笑って鼻をかみました。このように、おばあさんはごくありふれた品物の名前も思い出せませんが、幸い、あなたはボディランゲージがかなりわかるようになりました。トイレに行きたいときは体をもぞもぞさせるし、喉が渇いたときは口を独特の形にゆがめます。昼寝の時間が近づくと、眠そうなとろんとした目をします。

一緒に車に乗ったとき、おばあさんがひどく落ち着きをなくしました。ぼうっとした表情をしているので、あなたはこう言います。「暑いみたいね。窓をあけましょうか?」

おばあさんは何やらつぶやき、うなずきます。その場合、ことばで確認しながら、一連の動作を行ないましょう。「ほら。このボタンを押すと、窓が下がるの。魔法みたいでしょう? 気分はよくなった? 外の新鮮な空気は気持ちいいわね。風が強く当たるようなら、知らせてね」

知らせてくれる可能性がほとんどないことは、わかっています。けれども、こちらが気持ちを読み取って対処するたびに、おばあさんは意思をちゃんと伝えられた気になれるのです。必要ならば、横目でこっそりと、だいじょうぶかどうか確認してください。

37. 単語の言い替え

おとうさんは言語能力を失いつつあり、忘れたことばをほかの単語に言い替えるようになりました。言い替えた単語から相手の伝えたいことが推測できたら、正確な単語を使って答えましょう。ただし、いかにも訂正するような言いかたは避けること。たいていは、簡単に相手の意図をくみ取れます。

「シリアルにもっとグルンをかけてくれ」

「シリアルにもっと牛乳をかけたいの? おとうさん」

「そう、そのとおり!」

何を話しているのかさっぱりわからないときは、相手の興味を引きそうなあいまいな答を返し、次の発言を促しましょう。そして、少しずつ情報をつなぎあわせていくのです。たとえば、「緑はどこだ?」というおとうさんのことばは、緑色のシャツを意味しているのでしょうか? 犬や歯ブラシやモーツァルトのCDなど、まったくの別物かもしれません。話を先に進めるには、もっと情報が必要です。

当たりさわりのない答を選びながら、おとうさんの望むものを探り出しましょう。

「最近見ていない気がするわ。外にあるのかしら?」

「そんなわけないだろう。ばかだな! さっき、ぽちしたばかりなのに」

「探すのを手伝うわね、おとうさん。それって、大きさはどのくらいだった?」

「おや、わたしの緑だ!」おとうさんは嬉しそうに言って、食べかけのサンドイッチを手に取ります。

でたらめに単語を言い替える場合もあれば、大事なものについては、ひとつの気に入った単語を使う場合もあります。そうした単語の言い替えをまねしたくなるかもしれませんが、なるべく控えてください。おとうさんはおそらく、頭のなかで懸命に正しい単語を探っているのです。言い替えた単語をあなたがそのまま使ったら、いっそう混乱させるか、侮辱することになります。

「きょうはブルーの〝お得意さん〟を着たいな」(=シャツ)

「おとうさんは、ブルーのシャツが似合うものね」

「いまからお得意さんを読むよ」(=本)

「とてもいい本みたいね。おとうさんは気に入ってる?」

「もうとても、お得意さんだよ」(=疲労または空腹?)

「わたしもお腹が減ったし疲れちゃった。いまから昼ごはんの準備をするね。食べおわったら少し寝ましょう。いいかしら?」

疲労か空腹のどちらかだと見当がついたときは、こんなふうに、両方のニーズを満たせる答えかたをしましょう。

38. 滑稽な会話

アルツハイマー患者と一緒に暮らしていると、たいていは、とんちんかんな会話にも慣れてきます。アルツハイマー患者は一瞬のなかに生きているので、そのときの思考に応じて、同じ文中でも話題がくるくる移り変わることがあるのです。

おとうさんと一緒に、湖を見晴らす公園のベンチに座っているとしましょう。おとうさんはあなたとの会話に熱中しています。しばらく天気とあたりの春の花について話していましたが、やがて、受け答えからあなたは気がつきます。おとうさんは、子どものころよく訪れた遠くの湖のほとりに座っているつもりなのです。

そこで、このちがう現実にはいりこもうとしましたが、受け答えから察するに、おとうさんはまたべつの記憶をさまよっているようです。たぶん、遊ぶ少年たちや散歩中の家族連れを目にするたびに、それぞれのイメージからべつの現実が呼び起こされているのです。どんなに頑張っても会話を維持するのはたいへんです。

こうした滑稽な会話はアルツハイマー病にはつきものなので、楽しむが勝ちです。意図しないおかしな考えの組み合わせに、思わず笑ってしまうこともあるでしょうが、くれぐれも、おとうさん本人を笑いものにしないように。これらの貴重なやりとりは、テープに収めておくといいでしょう。

39. 注意をそらす

おばあさんはこの数年、あなたの家で暮らしていますが、おりにふれて〝家に帰り〟たくてたまらなくなります。寝室用スリッパを手に、コート姿で玄関に立って、「もう家に帰るからね!」と宣言し、ドアノブを回しはじめます。その場合は、ただちにそばに行っておばあさんの肩に腕を回し、こう言いましょう。「わかった。でも、こんなに早くおばあちゃんが帰っちゃうなんて、すごく残念だな。だって、とっても楽しく過ごしてるんだもの。ああ、そうだ、忘れるところだった。わたしの新しいイヤリングを見せるって約束してたよね。ほら、帰る前に見せてあげる」

おばあさんはアクセサリーが大好きなので、宝石箱を取りに行くあなたに、喜んでついて来ます。キッチンテーブルに座らせて、宝石箱を目の前に置き、コートを脱がせながら言いましょう。「コートは脱いだほうがいいんじゃない? この部屋で着ていると暑いでしょう。これはクローゼットに掛けておくね。スリッパもそばに置いておけば、すぐに場所がわかるから」

そして、イヤリングを指に載せてあげましょう。おばあさんはほどなく、宝石箱の中身をすっかりテーブルにあけて、イヤリングをペアごとに並べはじめます。あなたがひとつひとつ説明していくうちに、目の前のきらきら光る小物類に心を奪われて、帰りたがっていたことを忘れてしまいます。家に帰りたがるからといって、おばあさんと口論してはいけません。そうではなく、注意をそらすのです。環境を変えたり、一緒に特別な体験をしたりするのもいいでしょう。


おとうさんはいらいらして落ち着きがありません。室内を行ったり来たりして、何やら腹立たしそうにつぶやいています。大好きなお茶をいれても、見向きもしません。そんなときは、きょうの郵便を取りにいって、それを差し出しましょう。「おとうさん、ぼくはいますごく忙しいから、手伝ってくれないかな。この郵便をあけてくれると嬉しいんだけど」

先の尖っていないペーパーナイフを渡しましょう。そして、おとうさんが快く郵便をあけはじめたら、こうつけ加えるのです。「よかったら、ついでに、それを選り分けてくれないかな。請求書をほかの手紙とべつにして、一カ所にまとめてくれるとすごく助かるんだけど。こういう作業は、おとうさんのほうが得意だから」

気をそらすのに有効だとわかったら、これを日課にすることができます。

40. 誘導

混乱がひどいとき、おばあさんは簡単な作業もできなくなります。はいってくる情報を、ふつうの人と同じように処理できないのです。作業のやりかたを誘導するさいは、いつも以上に、おとなに対する口調を保つよう心がけましょう。愛する人がひどく無力になったのを見るのがつらくて、つい忘れてしまいがちですから。

人間は体を動かすとき、意識下であらかじめ計画を立てています。たとえば人混みの歩道を駆け抜ける場合、潜在意識が前方のようすを絶えず確認して記憶に収めています。

ところが、おばあさんはもう、こうした意識下のイメージを処理することができません。あらかじめ計画を立てられないため、おずおずと不安そうに歩きます。あなたが〝誘導役〟を務めなくてはいけません。二、三歩先に何があるか大声で説明しながら、おばあさんの腕を優しく導きましょう。

ドライブに連れていこうとしたら、おばあさんは戸惑いを見せました。どうやって車に乗っていいのか、わからないのです。そこであなたは、乗りかたを優しく誘導します。

この場合、はじめて車に乗る人に対するように教えましょう。動きのひとつひとつを、はっきりした声で説明し、できるかぎり身ぶりを使って実演するのです。「これが乗るところよ」(座席を軽くたたく)。「まずは、こっちの足をここに載せて」(おばあさんの左足を軽くたたく)、「それから、このシートに座るの。転げ落ちないよう、支えてるね。今度は、こっちの足をなかに入れて、シートのまんなかへ動いて。それでいいわ! ほら、簡単でしょう!」

次にドライブに出かけるときも、おそらく同じことを最初から繰り返す必要があるでしょう。慣れてくると、飛行機で安全具のつけ方を演じる客室乗務員のように、よどみなく実演できるはずです。はっきりした正確なことばを使い、庇護者ぶった口調は避けるようにしてください。

やがてあなたは、おばあさんと一緒にいるとき、自分の行動を逐一説明するようになります。最初は、思ったことをいちいち口に出すのが気恥ずかしく、まぬけな気分になりますが、必要な動作をおばあさんに誘導するさい、この新しい手法が役立つのです。

「さて、ドライブに出かける前にシーツを替えたいんだけど、いいかしら。手を貸したほうがいい?……ほら、これが新しいシーツよ。汚れたのをはずすあいだ、これを持っていてね……じゃあ、新しいシーツを渡してもらえる?……まずは、こっちの遠いほうの端をマットレスにはめて、次はこっち……それから足側にもはめて、と……どう? きれいにできたと思う?」

このように、できるだけ意見を求めるようにしましょう。わけのわからない答や、関係のない答が返ってきても、気にしてはいけません。すばらしい意見をもらったふりをしましょう。ただし、大げさにならないように。あくまで控えめで真剣な口調を保ってください。


あなたは友人のモリーに、トイレの使いかたからボタンのはめかたまで、日常のありとあらゆる動作を示してきました。そして、使う語彙や誘導の方法を変えれば楽になることに気づきました。モリーはしょっちゅう左右を混同するので、〝左〟と〝右〟を〝こっち〟と〝あっち〟に言い替えるようになりました。たとえば着替えを手伝うときは、こうです。「シャツを着る用意はできた? ほら、こっちの腕をとおして」(袖口を広げるようにして持ちながら)、「今度は、あっちの腕を通してね」。そして「ほら、靴よ。まずは、こっちの足をこれに入れて」(靴に合うほうの足を軽くたたく)、「……そして、あっちの足をこれに入れてね」

スプーンを見ても、モリーはそれがなんなのかわからず、ちゃんと握ることができません。その場合、相手のてのひらにスプーンを載せて、指が感触を思い出すのを待ちましょう。「これがスープの皿で、これがスープ用のスプーン。こっちの手で持つのよ」(スプーンを手に載せる)

モリーは体の部位の名称も忘れているので、あなたは具体的な動きを指示するとき、その部位を軽くたたきながら、正しい名称を口にします。たとえば、こんなふうに。「いまシャワーのお湯を出すから、手で温度を確かめてね」(彼女の手を軽くたたく)、「ちょうどいい温度になったら、教えてくれる?」

モリーはほかにも、〝振り向く〟とか〝向かいあう〟とかいった指示にまごつきます。あなたが「コップは真うしろにあるわよ」と言っても、肝心のコップが見えないので、なんのことやらわかりません。その場合は、そばに立って、コップが目にはいるよう優しく振り向かせます。そして椅子を示し、手にコップを持たせながら、こう言って安心させましょう。「ほら、お気に入りのジュースがはいったコップよ。この椅子に座って」(椅子をたたきながら)「さあ、ジュースを召し上がれ」

はじめのうち、こうして逐一指示するのはくどいように思えますが、やがてすっかり慣れるでしょう。少し手間をかけて誘導すれば、モリーの混乱や失敗によって事態が悪化するのを防げるのです。

41. 繰り返し

認知症のおじいさんとしばらく暮らすうちに、必要であれば何度でも穏やかに指示を繰り返すことに慣れてきました。たとえば、おじいさんが靴を履こうとしています。足をどう入れたらいいのかよくわからないようすなので、あなたはまず、片方の靴に誘導します。「この靴を前に置いて、つま先をなかに滑りこませて、それから足の残りの部分も入れていくんだよ。そうそう、そのとおり!」

次に、もう片方の靴について、まったく同じ指示を繰り返します。以前はこうした繰り返しが煩わしく思えましたが、いまでは、着替えや食事、入浴、歩行など、おじいさんが戸惑う動作を導くのにすっかり慣れました。明るい態度でのぞめば、相手も安心して協力的になってくれます。ひどい混乱を覚えつつも一生懸命頑張ったあとは、心から抱きしめてあげましょう。


テッドおじさんは、いくつかの昔話を、聞き手がすっかり暗記するほど何度も何度も繰り返しますが、トイレの場所やフォークの持ちかたなど、ごく単純なことはなかなか思い出せません。その場合は、トイレまでの道を示す目じるしを壁に貼っておくといいでしょう。また、フォークを手に握らせて、口までやさしく導きます。

動作のひとつひとつを根気よく説明しましょう。「これが、おじさんのフォークだよ。こっちの手でこれを握って、食べ物をすくって、それから口に運ぶんだ」できれば、次のひと口を食べおえるまで指示を忘れないでほしいところですが、おそらくは、食事中に何度も指示を繰り返すはめになるでしょう。同じ指示ばかり口にしていると、どうしても苛立ちが募ってきます。「さっき、やりかたを見せたばかりじゃないか!」と、うっかり口走ってしまうこともあるはずです。

残念ながら、そんなふうに怒ったところで、障害のことを本人に思い出させるだけです。おじさんはあなたのことばに反応して、よけい混乱するでしょう。そうなったら、再びなだめなくてはなりません。たとえば、料理を温めようかとか、グレイビーソースを注ぎ足そうかと提案したり、ピクルスを勧めたりしましょう。

こうして注意をそらせば、おじさんの混乱もおさまり、最初からやりなおせるはずです。

42. 選ばせる

認知症の人はふつう、一度に多くのことを考えられません。何かを選んでもらうときは、わかりやすい選択肢をふたつだけ示しましょう。こちらの言いたいことを理解させるには、ことばを繰り返したり、言い替えたりする必要があるかもしれません。

たとえば、これまで奥さんは、自立心が強く主張をはっきり持っていました。いまや奥さんの生活に関して、ほとんどあなたが決断をくださざるをえない状況ですが、できるかぎり相手に選択肢を与え、自分で決めさせるようにしましょう。たとえば着替えのとき、シャツをふたつ示して、どちらを着たいのか選ばせます。「ほら……この青いチェックのシャツと、ピンクの花柄のシャツがあるけど、きょうはどっちを着たい?」

朝食では、卵の調理法を選ばせます。奥さんは料理名を覚えていないかもしれないので、説明を加えましょう。「目玉焼きか、スクランブルエッグにしようと思うけど、卵はかき混ぜて焼いたほうがいい?」

奥さんが口ではなかなか意見を伝えられないようなら、質問のしかたを変えて、簡単なイエス、ノーで答えられるようにしましょう。たとえば「きょうはドライブに行こうって約束してたね。図書館でも、お気に入りの画廊でも、どっちでもいいよ。図書館にする?」と訊ねて、相手がノーと答えたら、「じゃあ、きょうは画廊にしようか。それでいい?」と訊ねるのです。たぶん、イエスという答が返ってくるはずです。

43. 愛情からのうそ

アルツハイマー病は、はじめのうち、脳の短期記憶をつかさどる部分に影響が出ます。病気が進むにしたがい、蓄積された記憶がどんどん失われるのです。近いほうの記憶から消えたり欠けたりしていき、最終的には、人生の最も早い段階の記憶だけが損なわれずに残ることになります。

おかあさんが〝ちがう現実〟に紛れこんで、母親の帰宅を待つ小さな子どもになったとしましょう。幻覚を生じていることをわからせようとすると、無用の混乱を引き起こしてしまいます。そうするのではなく、〝おかさんの現実にはいって〟ください。愛情ゆえにうそをつくのです。

日ごろから真実にこだわるおかあさんにうそをつくのは、良心が少しとがめます。けれども、そのうそもおかあさんから見れば真実なのだ、と考えれば気が楽になります。なにしろ、いまこの瞬間のおかあさんの現実を土台にしたうそなのですから。こうした対処法は、高齢者医療の世界で〝治療効果のあるうそ〟と呼ばれ、対アルツハイマー患者の効果的な手段として強く支持されています。愛情から生まれたうそをつくときは、真実味のある真剣な口調を心がけましょう。また、あとですぐに相手の気をそらせることが大切です。

たとえば、おかあさんが自分の下着をせっせと靴箱に詰めこんでいるので、何をしているのかと訊ねたところ、こんな答が返ってきました。「おかあさんが待ってるの。行かなきゃ!」そのときは、次のように答えましょう。「そうそう、ごめんなさいね。言うのを忘れてたけど、さっき、あなたのおかあさんが電話をかけてきたのよ。今夜は教会で会合があるから、もう少しここにいて、わたしと一緒に夕食をすませてほしいって」そして、こうつけ加えるのです。「前に、夕食の準備を手伝いたいって言ってたでしょう? 気が変わっていなければ、ちょうどいい機会じゃないの。さあ、キッチンに行きましょうよ」

また、べつのときに、おかあさんがひどくおろおろして、こう言いつづけたとします。「大好きなベージュのコートが盗まれた! 近ごろは、だれも信用できやしない!」

そのベージュのコートは、たしか一四歳のころ虫に食われてだめになった覚えがあります。ですが、あなたは平然とこう答えます。「コートは今朝クリーニングに出したの。あすにはできあがるそうよ。きょうは青いジャケットを着てみたら? おかあさんはあの色がとても似あうから」そして注意をそらすためにこう言います。「ガーデニング雑誌の最新号はもう届いたかしら。時間があったら、テーブルの上の郵便物を確認してくれると嬉しいんだけど」

愛情からのうそは、もっともらしく聞こえて、行動が当人の性格に合ったものでなくてはなりません。たとえば、おじいさんの友人が、八年前に亡くした妻がどこにいるのかひどく知りたがったとします。「ああ、奥さんなら、きょうは買い物に出かけましたよ」とだれかが答えると、その友人は、みんなの期待どおりに安心するどころか、いっそう動揺してしまいました。

あとでわかったことですが、友人の奥さんは仕事が忙しくて自由な時間をほとんど持てなかったので、買い物はふたりきりで過ごすためのとっておきの行事になっていたのです。なのに自分を置いて出かけたと聞かされれば、不安が増すのも当然です。というわけで、愛情からのうそは、対象となる人の状況にきちんと基づいていなくてはなりません。


エレンおばさんは長年、ある有名な市民団体のメンバーでした。内気な性格にもかかわらず、代表者としてしばしば人前にも出ていました。とはいえ、ずいぶん昔のことなので、おばさんから「わたしのメモは? わたしったらあれをどうしちゃったのかしら? どこかで見かけなかった?」と訊ねられても、あなたはなんの話かさっぱり見当がつきません。

あなたはおばさんの部屋を探し、ナイトテーブルに置かれた一枚の紙を見つけます。けれども、それを渡したところ、おばさんの苛立ちはいっそう募ってしまいました。家捜しを続けながら、何を指しているのか手がかりを求めて頭のなかを探っていると、おばさんが言います。「メモなしで人前に立つなんて、できない」

ああ! 記憶がよみがえって、あなたは思います。「なるほど、スピーチね! 昔やったスピーチの話をしているんだわ」おばさんがときおり人前でスピーチをしていたことを思い出したので、隣に腰かけて、まじめな口調で説明します。「おばさんの昼寝中に電話があって、例の催しは来週に延期されるそうよ。ほかの講演者ふたりが、いま流行中のインフルエンザにかかったんですって。だからスピーチの心配をする時間が、もう一週間増えちゃったというわけ(笑い)。リハーサルをしたければ、喜んで観客役を引き受けるけど」

市民運動の経験談を聞き出す絶好のチャンスです。テープレコーダーのスイッチを入れ、椅子にゆったり座って、耳を傾けましょう。そうすれば、おばさんの動揺を静めるだけでなく、新たな一面を知ることもできます。

44. まちがいを正さない

混乱のひどい人との会話では、前後関係がめちゃくちゃなせいで意味不明に思える発言がときどきあります。けれども、本人はおそらく、話題にぴったりの発言をしているつもりなのです。どんなことばが飛び出しても、できるだけ敬意を持って対応してください。

認知症患者が過去にあともどりして体験する世界は、まるで現在のできごとのように、鮮明で現実味があります。過去の記憶が呼び起こしたさまざまな思いや考えも、いま体験するのと変わらず現実的に感じられるのです。こうした体験を一笑にふさないよう気をつけましょう。思いや考えを認めてもらえば、本人の自信も強まります。

おとうさんはかつて軍人でした。戦闘中にどんな悪夢の体験をしたのか、だれもはっきりとは知りません。かたくなに戦争体験を語ろうとせず、次のように答えて質問をやりすごします。「過去は過去。語りあっても意味はない」

けれども、認知症にかかってからは、戦争の恐怖が甦って頭から離れないようです。たとえば、敵が襲って来ると思いこんで、こんなふうに言います。「やつらは、おれの居場所を知っている。やつらが来る。おれを捕まえに来る。ああ、どうすればいいんだ?」

〝やつら〟がだれなのかわかりませんが、それはたいした問題ではありません。いまのおとうさんに必要なのは、励ましのことばと、だれにも傷つけられないという保証です。こんなふうに言いましょう。「ここにいれば安全だよ。だれにも、おとうさんを傷つけさせやしないからね。それに、この住所は知られてないし、玄関の錠もびくともしない。自分の目で確かめてみる?」

おとうさんが信頼を寄せる機関がわかったら、その〝機関〟に〝電話〟してもいいでしょう。電話線をはずした状態で、受話器を取りあげ、わざと聞こえるように言います。「もしもし、FBI(連邦捜査局)でしょうか? うちの安全確保について再確認したいのですが。住所が漏れていないか確かめてもらえませんか……ありがとうございます。おかげで、安心できます」

〝電話〟のあとで、おとうさんに言います。「ねえ、おとうさん、いまFBIの捜査官に聞いたけど、おとうさんのファイルはしっかり保管してあるし、ここの住所を知っているのは、ぼくらが訪問や電話を望んでる人たちだけだってさ。その捜査官は、困ったことが起きたらいつでも電話してほしい、とも言ってくれた。すごくやさしくて親切な人だったよ。何も心配する必要はないそうだ。ここにぼくといれば、一〇〇パーセント安全だよ」

緊張が和らいだら、安心感を取りもどさせるために、並んで座って、おとうさんの気持ちに理解を示しましょう。「ぼくはおとうさんが大好きだし、ときどき、つらくてたまらなくなることも知っている。だから、二度とだれにも、おとうさんを傷つけさせやしない。助けが欲しいときは、すぐ知らせてくれるね? ここでは安全に暮らせるから、ほんとうによかったよ」

おとうさんは、過去の経験を思い出しているのではなく、頭のなかで当時を生きているのです。このちがいを認識し、おとうさんの恐怖が当時に劣らず生々しい――そして、耐えがたい――ことをわかってあげてください。

現在についてはひどく混乱しているのに、はるか昔のできごとにはどうしてこうまで強い感情を抱けるのか、なかなか理解できないかもしれません。ですが、認知症にかかってはいても、おとうさんは人間としての正常な感情をまだしっかり持っているのです。要因となるできごとがはるか昔のものであろうと、引き起こされた感情は深く心に響きます。

45. 近所へのビラ

徘徊は、アルツハイマー患者によく見られる現象です。当然ながら、介護者にとっては大きな不安の種になります。けれども、いくつかの予防措置を取ることはできます。

たとえば、徘徊するようになったおかあさんと、先日、ショッピングセンターではぐれてしまいました。警備員が探し出してくれるまで、あなたは不安でどうにかなりそうでした。以降、自宅の玄関に「このドアから出てはいけません」とは貼り紙をしましたし、おかあさんのために識別ブレスレットも買いました。とはいえ、こうした予防策を講じていても、おかあさんが徘徊して迷子になる可能性はあります。見た目はごく正常なので、他人には手助けが必要かどうかさえわかりません。

ふつうの一戸建てやマンションで暮らしている場合、隣近所に知り合いはいるでしょうが、親交の深い人は少ないかもしれません。けれども、ときには近所のみんなで集まって、迷子の犬や猫を探す手伝いをすることもあります。おかあさんの病状を説明するビラを配って、注意を促しておくといいでしょう。ビラの内容は自分で考えるか、次のような見本を使ってください。

おかあさんの写真

おかあさんの名前と特徴

ご近所のみなさま

わたしたち母子は、みなさまのご近所に住んでいます。母はアルツハイマー病を患っており、ときどき、ひどい混乱状態に陥ります。母がひとりで路上にいるのを見かけたら、以下の方法でご協力をお願いいたします。

母の医療情報ブレスレットには、わが家の電話番号が記してあります。

その番号にかけてもだれも出ない場合は、外で母を捜索中ということです。お宅の電話番号と住所を留守番電話に残してくだされば、すぐに母を迎えにまいります。

その方法は望ましくないということでしたら、ただちに警察に電話して、最後に母を見かけた場所と、そこからどちらへ向かっていたかをお伝えください。

ぶしつけなお願いなのは重々承知しておりますが、ご助力いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

あなたの氏名

追記 母は、いちごジャム、砂糖を少し入れた紅茶、アイスクリーム、ポテトチップスが好きです。また、子どもと猫が大好きです。

46. ぶじの帰宅

アルツハイマー協会が提唱する〝ぶじの帰宅〟プログラムは、アルツハイマーをはじめとする徘徊中の認知症患者が、できるだけ早くぶじに帰宅できるよう支援しています。仕組みはとても単純です。ささやかな料金を払って登録すると、次のような情報を彫った識別ブレスレットか識別ネックレスが支給されます。

  • 記憶障害あり
  • (持ち主の氏名)を助けるために、(電話番号)までお電話ください。識別番号 ××××

徘徊中のアルツハイマー患者を見かけた人は、二四時間態勢のホットラインに電話をかけます。すると、ホットラインから家族に患者の居場所が伝えられます。逆に、患者の行方がわからなくなった家族は、ホットラインに電話して、警戒態勢を取ってもらいます。このプログラムでは、重要な緊急連絡先などの情報や写真を含むデータベースが、全国規模で管理されています。おかげで、患者がどこへ徘徊しようと介護者に引きあわせられます(訳注 日本では、まだこの種のプログラムは普及していない)。

47. 人混み

たいていの人は外の世界とかかわって多くのことを学びますが、アルツハイマーを発症すると、人混みや騒音などの刺激にうまく対処できなくなるかもしれません。そうであっても、外出を一挙に取りやめるのではなく、静かな落ち着いた場所を選んで出かけるようにしましょう。やがて、すべての外出が不可能になるときが来るでしょう。けれども、できるだけ長く、外の世界とのつながりを感じていられることが大切です。

あなたはポリーおばさんと一緒に、お気に入りのデパートに出かけました。セール期間中のせいか、大勢の人でごった返し、ざわついています。おばさんはいつも買い得品をあさるのを何より楽しみにしているのに、きょうはひどく取り乱して逃げていくので、あなたは驚きます。まっすぐ入り口に向かうおばさんに、なかなか追いつけません。

ようやく追いついた時点で、大好きな靴売り場に行こうと提案するのもひとつの方法でしょう。「ポリーおばさん、こっちはどうかしら。いいウォーキングシューズが見つかるかもしれないわよ。ほら、あの茶色の靴、すてきね」

ところが、乗り気満々の反応を期待して振り向くと、おばさんの目に涙があふれています。こうなっては、できるだけ早くデパートから連れ出すほかありません。手を引きつつ、穏やかな声で、どこか静かな場所を探して冷たいレモネードでも飲みましょう、と提案します。

おそらく、ポリーおばさんの知覚に負担がかかりすぎたのです。騒がしすぎる音、多すぎる人、めまぐるしく移り変わる周囲……。外からの情報を処理する能力が衰えた人は、ショッピングセンターや大型店舗ではひどい混乱を生じかねないので、小さめの店やブティックを利用するようにしてください。

おばさんにとって何よりもつらいのは、大切な親戚や友人がいるときにパニックを起こすことです。大勢の親戚が集まる場でこういう状況に陥ったら、人がたくさんいると動揺しやすいこと、一対一で話すほうが望ましいことを、みんなに説明しましょう。それから、部屋の片隅の静かな場所におばさんを連れていき、ほかの人にひとりずつそこを訪れてもらいましょう。

48. 誕生日

友人のトムは、たぶん実年齢を覚えていないでしょう。ある年齢を〝感じる〟人などいないからです。人は疲れや活力は感じます。体調が悪いのも感じます。けれども、特定の年齢を〝感じる〟ことはありません。むしろ、体の調子を年齢にたとえることが多く、「一〇〇歳になった気分だよ、すごく疲れた!」「きょうは調子がいいね、一〇代にもどった感じだ!」などと言います。

あなたはトムの誕生日パーティを主催し、風船、アイスクリーム、ろうそくを並べたケーキを用意しました。友人もたくさん、お祝いにやって来ました。ひとりが明るく、けれど何も考えずに、トムに叫びます。「すごい、きょうで九一歳なんだってね! どんな感じがする?」

トムは打ちのめされ、答に窮しているようすです。九一歳と言えば、かなりの高齢。認知症にかかっていても、そのくらいはわかります。トムの表情に気づいたら、すぐそばに行って、両腕を相手の体に回し、ほがらかに言いましょう。「トム、きょうはあなたの誕生日パーティなのよ。何歳の誕生日を祝いたい?」

トムは声を弾ませて「二八歳!」と答えるかもしれません。

その年齢を祝ってあげましょう。

49. 祝祭日

人類は儀式を心のよりどころとしてきました。どんな文化にも、たとえばキリスト教の祝餐日、ユダヤ教の神殿清めの祭り、アフリカ系アメリカ人のクワンザ、イスラム教の断食月であるラマダン、大晦日、クリスマスなど、重要な祝祭日があります。そして程度の差こそあれ、どの日にもお菓子、きらびやかな飾り、ろうそく、ごちそう、プレゼントが登場します。しかも、一度に全部! なるほど、祝祭日が魔法の時間に思えるわけです。

いままでずっと、おかあさんはクリスマスのスペシャルクッキー作りが得意でした。レシピは代々受け継がれ、秘密の材料も使われています。それがなんのためのクッキーなのか、おかあさんはもう覚えていませんが、作る手順はこと細かに復唱できます。

暑い夏のある日、おかあさんが、いますぐ家伝のクリスマスクッキーを焼かなくちゃ、と言い出しました。どうか、それをやめさせないでください。七月、あるいは四月にクリスマスを祝ってもいいではないですか。電飾を灯し、クッキーを焼き、ろうそくに火をつけ、プレゼントを包んで華やかなリボンをつけましょう。うだるような夏の日にクリスマスキャロルを斉唱するよう、ほかの家族を説き伏せるのはひと苦労ですが、このあべこべな世界に慣れてしまえば、きっと全員が楽しく過ごせるはずです。

自分が欲しい(あるいは必要だ)と思ったら、いつでも新しい儀式やお祝いを作り出しましょう。一緒に暮らしはじめた日を祝う〝友愛の日〟とか、〝春の最初の日を祝うパーティ〟とか。〝春の二日めを祝うパーティ〟の翌日は、〝衣替えを祝う日〟とか。日々ささやかな祝いごとを設けて、キッチンテーブルに特別のクロスをかけ、花束を飾り、お菓子を並べるのもいいでしょう。そして、ときおり、思いがけないプレゼントを渡すのです。そのために、ギフト用の箱をいくつか用意しておきましょう。一度使った箱をしまっておいて、再利用するのもひとつの方法です。

50. 夜間の不穏

奥さんが午後の同じ時間にきまって落ち着きを失うなら、〝夜間の不穏〟という症状かもしれません。これは、アルツハイマー患者や認知症患者が、午後遅くにたびたび生じる激しい気分の揺れのことです。こうした気分の揺れは、脳内の化学反応の一種で、一日の終わりにあたりが暗くなることで引き起こされると考えられています。

奥さんに落ち着きがないのは、この夜間の不穏のせいかもしれないし、単に過去の体内時計に反応しているだけかもしれません。これまでずっと決まった時間に決まった仕事をやってきた人は、体内時計が発達し、引退してもそれが止まらないことがあります。

奥さんが毎日四時に夕食のしたくを始めていたのなら、毎日その時間に気を揉んだりそわそわしたりするのは当然です。その場合は、料理や食卓のセッティングを手伝ってもらいましょう。


しばらく前から、アリシアは介護施設に入居しています。ある日、そのアリシアが夜間の不穏に悩まされていることを、看護師長から聞かされました。スタッフのことばをうのみにせず、まずはその施設で午後に定期的な活動の予定が組まれているか確認しましょう。

入居者の多くは、何もせずいたずらに時間を過ごしていると、退屈し、欲求不満を覚えます。こうした退屈や欲求不満が、夜間の不穏に似た症状を引き起こす場合もあります。施設で午後を過ごしてみて、アリシアの欲求不満が退屈のせいだと感じたら、午後の活動を設けてもらいましょう。

また、スタッフに、彼女の注意をそらす方法を勧めてもいいでしょう。アイデアをいくつか提供するのです。たとえば、きょうは休みを取る日だから、代わりにほかの人が夕食の準備をしているのだ、と言い聞かせるとか。食卓の準備や水を運ぶ手伝いを頼むとか。

そういったことを提案しましょう。

51. 訪問客

認知症患者を訪問するのは、訪問客にも、患者本人にもストレスがかかるものです。かつて親しい間柄だった場合はとくにそうですが、訪問客はアルツハイマー患者に大きな期待を抱きます。けれども、客がだれであるか、患者が認識できない可能性も大きいのです。これまでアルツハイマー患者と接した経験があまりなければ、訪問客はひどくがっかりするでしょう。

おかあさんの子ども時代の親友、エレンが、ひさしぶりに遠方から訪ねてくることになりました。最近とみに混乱がひどいので、おかあさんはきっと、この幼なじみの顔も見分けられないでしょう。あなたはふたりの再会の成功を祈ります。とりわけ、エレンのために。エレンは期待に胸をふくらませて長い道のりをやってくるのですから、訪問がうまくいかなければ傷つくはずです。

おかあさんのもとへ案内する前に、エレンとふたりきりで会って、再会の手助けをしましょう。おかあさんと意思疎通するうえで気をつけるべき点を説明します。

そして、共通の思い出について具体的なエピソードを持ち出すときはどうすればいいか、いくつか例を挙げます。本書の「記憶」の項を読ませて、「……を覚えてる?」といった質問には落とし穴があることをしっかり認識させます。

穏やかな、おとなに対する口調で語りかけるよう頼みましょう。おかあさんが見かけよりずっと多くのことがらを理解できることも、はっきり伝えておきます。

エレンに会わせる数分前に、おかあさんにこう告げます。「びっくりするようなプレゼントがあるの。おかあさんの親友のエレンが遊びくるんですって。会うのがすごく楽しみね。でも、ここに来てもらうのはすいぶん久しぶりだから、わたしたち、エレンの顔がわかるかしら。外見がかなり変わったかもしれないし」

おかあさんは思いがけないできごとにうまく対処できないため、状況が認識できるまで、エレンには待機してもらう必要があります。前もって、どんなふうにおかあさんに紹介するつもりか伝えて、合図を待つよう頼んでおくのです。そしてエレンを案内したら、明るく穏やかに言います。「おかあさん、このすてきな女性に会ってほしいの。ねえ、信じられる? この人はエレン、おかあさんの昔からの親友よ。エレン、母もわたしもあなたが来てくれて嬉しいわ。母はいまはここに住んでいるの。こうしてまた一緒に過ごせて、ほんとうによかった」

おかあさんに反応がなくても、おとなに対する口調で語りつづけ、エレンにも同様にしてほしいと、さりげなく伝えます。たとえば、こんなふうに。「ねえ、エレン。母はあなたの近況を聞きたいんじゃないかしら。そうよね、おかあさん?」

そして、ここまでの旅路、生活、ペットなど、他愛のない話をしてもらいます。あなたが仲介役を務めれば、おかあさんはひとことも話さずとも会話に参加している気分になれるはずです。ただし、おかあさんがすべてのことばを理解しているという前提は崩さないこと。エレンがそれを忘れて、おかあさんの耳が聞こえないかのように話しはじめたら、彼女の質問やコメントをおかあさんに向けて言いなおします。「おかあさん、エレンが背中はまだ痛むのかって。ほんとうのところ、どう?わたしには、ずいぶんよくなって、背中のことは忘れてるように見えるけど」

あなたの手助けがあれば、友人の訪問は、互いにとって充実した楽しいものになります。おかあさんはこのできごとをたちまち忘れてしまうでしょうが、楽しい気持ちはずっと残るはずです。


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読み PART3かいごとこころがまえ
作成者 openknow84
作成日時 2008年10月14日 11:57:03
最終更新者 openknow84
最終更新日時 2008年10月14日 11:57:03
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